LOCAST

声がミニマム

福生についてを読んで

みなみしまさんの、「地元を観光するために」というのを読んで
「迷子」が面白いと思ったのですが、基本的に福生で生まれた彼が、福生を再度観光することは可能か、というですね、しかも、他人の欲望のため(つまり地方創世てきなビジネスに参じるためではなくて、ただただ、観光を楽しめるのかと。)

「家の中で迷子になる」ということについて、坂口恭平さんを引用して、(このページの写真も良いんですが)論じているんですが、「観光は、迷子にならないと観光じゃない」ということは、私も観光業に携わりながら、そう思います。

片付け

たぶん、家の中で迷子とかけながら、旅と片付けが似ているという前提で、話が展開していくんですが。

  • 地元は家みたいなもの
  • 観光は迷子になること
  • 家の中で迷子になることが観光をすることのヒントになる
  • 旅の間に出会うものは、過去と結びつくことがある
  • 他人と一緒に旅をすると、他人はいろんな過去を持っているので、自分とは違う過去に結びつくことがある
  • (ところで)旅と片付けは似ている
  • 「片付け」は、『自分の手で片付けるべきだ』というのが、セオリーである(→一見、否定しづらい)(ミニマリスト(アートではなく生活のほうの)のツイッターでは、自分の手で片付けるべきというのの否定意見は私の観測範囲ではみたことないです)
  • しかし、ここで、片付けを他人の手によって行ってもらう
  • そうすると、家の中で迷子になることができる
  • そのように地元を観光すると、地元を観光することができる

ということで、私はみなみしまさんは地元を観光できたんじゃないかな、と思ったわけです。

拒否

ここで、私が思ったのは、しかし、地元が家であるならば、「ここは開けないでくれ」と言ったような「拒否」が起こるんじゃないかな、と思ったんですね。だから、地元を観光することは可能だけど、実は、「みなみしまくんの同行者」にとって、もっと深い体験を提供するには、「みなみしまくんのような地元の人」と共に観光するという体験の中には、「強烈に拒否られてる場所、磁場」とかが、あらわになってくるわけで、見せたくないような場所を完全に避けながらガイドされているなあってことをつかめると、より一層、ディープな所にいけるのかな、と思います。地元をガイドすることは、ボランティアガイドさんとかではよくありますね。「地元を観光する」の次は、「地元で観光したくないところを避けてガイドされている」ことに、「気づく」とかが、面白そうだな、と思っています。