MARTA KLONOWSKA

富山市ガラス美術館 「マルタ・クロノフスカ 不思議ないきもの」

📍富山市ガラス美術館

マルタ・クロノフスカですね。日本で最初の個展が富山市で行われたわけですが、名画の中の動物や靴を選んで作品にしているんですね。
入り口の文章で、「刺繍をするように」という言葉が気になって、誰が書いた言葉なのか、

  • クロノフスカがよくそのように語られる言葉なのか
  • クロノフスカの言葉なのか
  • ガラス美術館の言葉なのか

が気になって伺ったら、学芸員の浅田さんという方の言葉だそうです。
とても良い言葉だな〜と思いました。ガラスというものは、壊れやすいものでもあるけど、壊れて破片になったら、今度は凶器になるものなので、刺繍という言葉を使うことで、その柔らかさとサディステックな部分の両方を紹介できているような。名画を引用することで、色っぽい感じも出てると思います。また、動物だけではなく靴も作っているところに、ぐっと興味を惹かれました。ガラス破片で作られた靴って、危なっかしくて色っぽいですよね。「不思議ないきもの」というタイトルは、市民向けのタイトルだとは思いますが、靴もあるのだから、ちょっとクロノフスカの表面の部分をさらっとつまむくらいのタイトルでしかなくて、展覧会名としては、自分の首をしめるようなタイトルだと思います。作家名だけで大丈夫でしょう、まあ、そしたら市民が来ないという思いがあるのかも。

あと、クロノフスカへの批判としては、一色刷りはどうなんだろう。汚く見えるし、名画の製作者の意図と逸れてるので、ちょっと傲慢な感じさえします。

そんな感じです。

写真は、 クロノフスカの『庭園の犬(トマス・イエペスによる)』という作品でした。

Garden View with a dog after Thomas Yepes 2014

I feel refer to the “after” the traditional painting, it causes the elegant mood. I found the word “kind of Embroidery” by the curator Ms. Asada is great. #martaklonowska

LOCAST

声がミニマム

福生についてを読んで

みなみしまさんの、「地元を観光するために」というのを読んで
「迷子」が面白いと思ったのですが、基本的に福生で生まれた彼が、福生を再度観光することは可能か、というですね、しかも、他人の欲望のため(つまり地方創世てきなビジネスに参じるためではなくて、ただただ、観光を楽しめるのかと。)

「家の中で迷子になる」ということについて、坂口恭平さんを引用して、(このページの写真も良いんですが)論じているんですが、「観光は、迷子にならないと観光じゃない」ということは、私も観光業に携わりながら、そう思います。

片付け

たぶん、家の中で迷子とかけながら、旅と片付けが似ているという前提で、話が展開していくんですが。

  • 地元は家みたいなもの
  • 観光は迷子になること
  • 家の中で迷子になることが観光をすることのヒントになる
  • 旅の間に出会うものは、過去と結びつくことがある
  • 他人と一緒に旅をすると、他人はいろんな過去を持っているので、自分とは違う過去に結びつくことがある
  • (ところで)旅と片付けは似ている
  • 「片付け」は、『自分の手で片付けるべきだ』というのが、セオリーである(→一見、否定しづらい)(ミニマリスト(アートではなく生活のほうの)のツイッターでは、自分の手で片付けるべきというのの否定意見は私の観測範囲ではみたことないです)
  • しかし、ここで、片付けを他人の手によって行ってもらう
  • そうすると、家の中で迷子になることができる
  • そのように地元を観光すると、地元を観光することができる

ということで、私はみなみしまさんは地元を観光できたんじゃないかな、と思ったわけです。

拒否

ここで、私が思ったのは、しかし、地元が家であるならば、「ここは開けないでくれ」と言ったような「拒否」が起こるんじゃないかな、と思ったんですね。だから、地元を観光することは可能だけど、実は、「みなみしまくんの同行者」にとって、もっと深い体験を提供するには、「みなみしまくんのような地元の人」と共に観光するという体験の中には、「強烈に拒否られてる場所、磁場」とかが、あらわになってくるわけで、見せたくないような場所を完全に避けながらガイドされているなあってことをつかめると、より一層、ディープな所にいけるのかな、と思います。地元をガイドすることは、ボランティアガイドさんとかではよくありますね。「地元を観光する」の次は、「地元で観光したくないところを避けてガイドされている」ことに、「気づく」とかが、面白そうだな、と思っています。

82年生まれ、キム・ジヨン

「82年生まれ、キム・ジヨン」

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

冒頭から15分で、わっと泣き出してしまいそうになった。

幼少〜小学生

小さいころから、自分でも気づかない間に、女性は当たり前に、小さくいろいろなものを損なわれている。

それが当たり前で、みんなそうで、あの頃はみんなそうだったから。

周りの男性は、ひどい時もあるが、基本は寄り添ってくれて、間違えて怒った先生も、「気づかずに怒ってすまない、なにかしてほしいことはあるか」と優しく言ってくれて、心がほどけるのだが、追い打ちをかけるように、「でもあいつはお前が好きなんだよ」と、こちらでは理解できないことを言う。

なぜ、精神的に未熟な男の子のために、女の子は損なわれなければいけないのかを、ずっと諦めていたのかもしれないけど、いくつになっても、未熟さによって、誰かが損なわれるべきではないと、本当に思った。何歳になっても、問題は複雑さを極めていくだけで、ジェンダーイコールについてを、みんな、小説の中ではじっと聞けるのかもしれない。少なくとも、この本が「売れてる」ということが、これから、大きな力になっていきそうに思う。 

就活

出てくる誰もが優しくて報われない

女性やなんらかの弱い立場にたつ人であれば、必ず感じたことのある矛盾と悔しさのエピソードに溢れているのに、直接的にえぐるというよりは、やわらかい眼差しで整理していく。
出てくる(男性含め)登場人物は、主人公に意地悪なわけじゃない。嫌な人はいない。だけど、ガラスの天井と、出口のない迷路にぽつんと取り残される。ジェンダーイコールの問題は、マジョリティv.s.マイノリティではない。敵は、どうしようもない「慣習」であり、慣習は私たちのアイデンティティに深く結びついている為、本当に事態は複雑なのだと思う。

ラスト

後味を悪くするのは、本当に「正しい」と思った。

全体的に

読んでいる間中、ほんとうに胸がつまる思いで、そうだそうだそうなんだよ、と思いつつ、小説の語りの「カタルシス」に救われる思いもあった。

あと、私の夫は「家事を手伝う」とは絶対に言わない。こういう、「これを言うと他人が損なわれてしまう言葉」も学べるので便利。彼も、「手伝う」と言ってはいけない理由を、私に出会う前に学んだのだと思うので、かなり意識的に、言わないし、言っている人をたしなめるが、知らなければ、または、そのようなものを深く理解していなければ、言ってしまうと思う。

私自身、知らぬまま、誰かを損なうことがあると思う。私はたまたま女性に生まれただけで、きっと、もっと違う人たちを傷つけてしまっているのではないか、私は、本当に初心にかえらなければならないと思う。

(電車の中で、「そんな腹になるまで地下鉄に乗って働くような人が、何で子どもなんか産むのさ」と言った女の子は、形を変えた私だと思う、そういうことを本当に思っているわけじゃないんだけど、そういう権化になってしまう恐れを、私は抱えている、そうさせたのは、様々な仕組みだということは理解しているけど、まだ、逃げきれていない。)