ブルーピリオド

読む時期を逸していたが、10巻まで一気読み。とても面白かった。

6巻まで受験編、7巻から大学編。

6巻まではキャラクターの闇の描き方がナイフのようで美しい。そして背景が描かれていてその場にキャラが呼吸しているように感じるため、情けない部分でも偉そうな部分でも不快ではない。むしろ愛おしいように描かれており爽快。

しかし、7巻からは明らかな上下関係のある立場(権威ある教授と若い教授/教授と1年生/助手代理と1年生)の間でセクハラ・モラハラなどのハラスメントがはっきり描かれる。

これは問題提起ではなく「リアリティ」として描かれているにとどめられ、モヤモヤする。

文芸作品でも、作家は「今までの論理や倫理や文法では書けなくなった」「書くのが難しくなった」と聞く。参照できる例として近年のフェミニズム・リブート後の翻訳家の声がある。


すんみ・승미@seungmis

近年のフェミニズム・リブートで韓国文学界で何が起きたかというと、これまでの論理や倫理や文法では作品が書けなくなった。書き手たちが感じたその後の苦悩は「エトセトラvol.2」に掲載されたユン・イヒョンのエッセイ「女性について書くこと――多すぎる質問と少しの答え」で垣間見ることができる

過去の作品でジェンダーの偏りが見られる表現を修正し、改訂版を出す動きもあった。男性作家からも新しい表現方法を見つけなければならず、作品を書くのが難しくなったという声があがった。簡単に変わるものはない。みんな苦労し、悩んで、変えようとしている。訳者として、自分のできることをやりたい

https://twitter.com/seungmis/status/1444246318604451844?s=21


当然、文学も漫画も変わらず「書くのが難しくなった」だろう。書く際にコンプライアンスというハードルが設けられ、それは複雑に入り組んでいるからだ。しかし、文学においてはこのハードルには書き手皆が取り組み、そして「現代の文学」を更新して行っている現状がある。

ハラスメントを現実的な逆境として描くという作家の判断もある。作者の肩を持ちたくなるとともに…、2018年に提出された多摩美術大学彫刻科の学生有志による要望書提出などの動きも現実に起こっていることも考えたい。


多摩美彫刻科の学生有志、 ハラスメントなどで大学に 要望書を提出

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/12328


弱者がより弱い者にハラスメントを行うような構造を描く限り、「リアリティ描写」として扱うに留めてしまうことが、前時代的に感じるのだ。例え上のものが作家であろうと、上のものが「対等な関係」だと主張しようと、そこには利害関係がある。作家として成功するためにハラスメントに耐え忍ぶ姿を美談として描けば、必ずこの構造は再生産されるだろう。(主人公の場合は教授の言いたいことを噛み砕いて理解する姿として描かれるので救いがあるが、しかしアカハラの一つであるには違いない。若い教授が権威ある教授に受けるセクハラが、「持てる武器は全て使う」と描かれることにはリアリティがあり、かつ、搾取構造の歪さが描かれている。しかし、これがある種の美談や覚悟の形として描かれれば、ハラスメント構造はこのまま蔓延り続けてしまう)

ハラスメントを受ける側はこれがハラスメントであるということそのものに気づけず、青春の1ページであると長い年月の間思い続ける。成功のための一手として逆境を利用したということを美談として受け止める。なぜあの時抗議しなかったんだと問い詰められた時には十数年が経過している。

作家譚であるとともに青春譚であるならば、これは美しい青春の1ページではなく、「弱者搾取の構造」だということを明確に表現する必要性にも迫られているだろう。なぜなら、構造の見直しと文法の変革は、今まさに文学でも漫画でも多くの作家が行なっていることであり、現在のリアリティだからだ。